四季折々の表情を見せる三面川 上海府へと続く瀬波橋
村上の市街地から国道345号線を北に進むと、程なくして道は瀬波小学校を見ながら右斜め前方へと折れる。
JAの出荷場や精米機を過ぎた辺りから人家が途切れると三面川の瀬波橋へと続く直線だ。
冬の荒れた天気の日は、吹き付ける風と雪で視界が遮られる場所だったりする。道の北側に建てられた防風フェンスはそれを物語っている。
春夏秋冬、上海府の多くの在勤の住人はこの橋を渡って村上市街地に通うのが日常だ。
夏は青い水面に身を踊らせる鮎の知らせを聞き、秋は色とりどりの落ち葉が揺れる川の中で最後の力を振り絞って昇り来る鮭の生命力を感じ、冬は全てを封じ込めるような凍える吹雪に曝され、春は土手を美しく染める桜を待ちわびながら、季節の移ろいを感じながらこの橋を越えて行く。
人生の多くを上海府の中で過ごした先人たちを思えば、こうして容易く三面川を越えて村上の市街地へ行ける事は、季節の移ろいと共に時代の流れをも感じさせる。
橋からも見える三面川右岸の滝ノ前の一部は、明治22年の町村制施行から昭和25年に瀬波町に編入されるまで岩ヶ崎に属していた。その間上海府村として組織され、校区も大月小学校だった。段丘上の羽下ケ渕や下渡も、江戸期は上海府組とされた事もあるようだ。
義経や弁慶の伝承が残る多伎神社は地名上は岩ヶ崎である。

上海府と村上市街をつなぐ瀬波橋
地底劇場は実在した 懐かしの古代ランド跡
国道345号線は瀬波橋を渡ると滝ノ前集落の裏山を登って行く。
時々自転車で走ることもあるが、この坂がキツい。滝ノ前の集落内へ逃げると集落の最後でもっとキツい登りが待っている。
国道側には「古代ランド」と呼ばれるちょっとしたテーマパークがあり、廃業した今でも建物が残っている。
国道の開削作業中に発見された弥生時代の遺跡を、当時のバブリーでイケイケな人々がテーマパークにしたものだと推察する。
開業は昭和60年頃だったろうか。開業記念として子どもたちをバス送迎付きで無料招待していた記憶がある。夜は屋上から闇夜を突き抜けるサーチライトを照射し、光が雲を照らすとまるでUFOが駆け抜けて行くようで幻想的に見えた。
売物件の看板が掲げられて10年以上が経つ。2018年に某団体のイベント開催で何十年ぶりかに入る機会を得た。
建物は年月を経てあちこち痛んではいるものの、おぼろげに記憶していた風景のピントが合っていくような、思い出の中にタイムスリップしたような不思議な感覚でもあった。地底劇場があったのも自分の夢では無かったと数十年ぶりに確認できた。

草木が生い茂る弥生遺跡のテーマパーク、古代ランドの跡
悲しい逸話の茂助地蔵を過ぎ、上海府のレストラン街へ
古代ランドを過ぎると少し下り坂となって滝ノ前集落内からの道が合流する。この辺りに茂助地蔵と呼ばれる地蔵様が祀られている。
江戸時代、上海府から神納方面に働きに出ていた奉公人が、帰り際にここで金品を狙われて殺害されたという伝説付きの地蔵様だ。
実はこの犯人、奉公先の旦那様で一度渡した金が惜しくなり追いかけてきて犯行に及んだという、なんともセコいヤツ。
こうした言い伝えがあり、このお地蔵様にお金を上げてはいけないという。詳しい話しの内容は村上立中央図書館にも所蔵する「ばばちゃのむがしばなし」を参照。
吾茶屋、美咲と食事処が2軒続く。感覚的にこの辺りからが上海府に入る。
呉茶屋は新鮮な旬の魚料理がウリ、美咲は魚介類に加えて村上牛もメニューに並び、大宴会も可能な広間があるので上海府の会合では良く利用されている。
吐息が白くなる季節には玄関にある薪ストーブの温もりが心地ち良いので、この前でスルメでも炙りながら一杯飲ませてもらいたい。

滝ノ前からの峠道には茂助地蔵が祀られる
午後の日差しが海面にきらめく岩ケ崎の高台で夢見心地
国道から分岐する岩ヶ崎集落への入口に立つと、眼下に広がるのは遮る物の無い紺碧の海原。上海府で一番海に近く見晴らしの良い高台がここだろう。
特に夕方近く、少しの逆光に照らされながらキラキラと光りを反射する水面を見ていると、この光に包まれながら今にも天に飛び立てるのではないかという気分にさえしてくれる。
水平線右手に粟島が浮かぶ。視線を左に移していくと、ゴマ粒のように見えるのは漁船やレジャーボートで粟島汽船は少し大きい。
視界がクリアな日は佐渡が二つの島のように見える。実際は低い部分が水平線下に隠れて見えていないだけで地球が丸いという事実を目の当たりにする。
左の水平線をたどった先の陸地は新潟市近郊やその少し先辺りが見え、弥彦山や聖籠町の火力発電所なども目印になっている。
一番近くに見えるのは瀬波温泉。緑の丘陵地帯である浦田山を背景にして大小の建物が並ぶ様子が良く分かる。
幕末には村上藩が黒船監視のために岩ヶ崎に台場を築いたという。村上の町中より突出して瀬波の沿岸部を見渡せるこの岬のような地形は、要衝の地と言えるだろう。
実際に現代でもごく稀に、海水浴場跡周辺で自衛隊が活動している姿を見かける。

夕方近く、高台からの眺め
海を見下ろしながら電車と並走すれば気分はジブリ♪
高台から岩ケ崎の集落へ向けて一気に坂道を下る。この坂道、笠を飛ばすような強い風が吹くことからカサドリ坂と呼ばれたという。
坂の途中でトンネルから出てきたJRの上り線と並走。ここを海風を感じながら自転車で下ると、自分がジブリ作品の主人公になったような気分で最高に清々しい。
左の海側に見える広場は岩ヶ崎海水浴場の跡だ。営業を辞めたのは2005年頃だったろうか。
今では広々した敷地に使われる事の無くなったトイレと、休憩所の残骸が虚しく佇んでいる。ポツンと消火栓があるのも海水浴場のためか。同じ広場に墓地があることが尚の事物悲しく感じられる。

笠を呼ばすような強風が吹いたことからカサドリ坂と呼ばれたという
小さなトンネルを抜けると、そこは密集した住宅街
JR羽越線下の小さなトンネルをくぐって住宅地へ入る。
トンネルは2個所ある。南側のものは歩行者専用とも言えるようなミニサイズのトンネルなので自動車は北側のトンネルを使う。
それでも大きな車で抜けるのはヒヤヒヤするようなサイズ。南から北へ抜けるより、北から南へ抜ける方が難易度が高いらしい。
トンネルを出て左へ向かうのがメインの通りで、背の高い自動車では気をつけないと軒先にぶつけてしまいそうな道幅と屋根の張り出し。自動車のすれ違いはできない。

軒先が出る村中の道は狭い。車のすれ違いは出来ないので注意。
運動会でも団結力の強い十数軒あまりの集落、岩ヶ崎
岩ヶ崎は戸数十数軒余りで、上海府地区でも最も軒数の少ない集落。100メートルちょっとで家並みは途切れ、集落センターと消防小屋があり国道へ合流する。
集落の二つある出入り口は、どちらも出入りしやすいとは言い難い。南側は急カーブの途中、北側は大きな坂の麓でカーブしているので見通しが悪いからだ。
岩ヶ崎集落は平地も少ない小さな集落にもかかわらず、毎年行われる上海府ふれあい大運動会では好成績を収めている。集落全員が一つの家族のような一体感で競技に臨んでいる結果なのかもしれない。
国道に出てバス停の広場から石段を登った所に須流岐神社が祀られている。社の木々の間から望む海と、春に鳥居の周辺に咲く桜が綺麗だ。
神社から少し北に行って石碑の手前から大月集落となる。

鳥居周辺の桜が綺麗な伊須流岐神社
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