大月集落とは

南境にあった動物墓地 跨線橋は撮り鉄ポイント

岩ヶ崎から北へ向かうと大月集落。「大月」の地名は「大槻」で、欅の大木に由来するのではないかと言われている。

岩ヶ崎との境辺りにはかつて動物墓地があった。海側の小屋で動物の火葬を行っていたと言うからここに墓地もあったのだろう。今は焼場も墓地も無くなり、関係あるのかわからないが法華塔だけが建っている。

お墓があった頃は、夏の暑い日でも近くの沢から引いた水がシトシトと流されていた。

今ほどペット霊園も一般的ではなく、インターネットも無かった昭和60年頃、どこからか人づてに聞いたのだろうか?大月の集落内を息の絶えたペットを連れて彷徨っていた家族がいた事が記憶に残る。

動物墓地跡付近

岩ヶ崎境の動物墓地跡付近。海側には焼場もあった

墓地跡から国道を北に行くと左に大きく曲がり、跨線橋でJRを越えていく。この跨線橋周辺が撮り鉄に人気の撮影ポイント。ネット上で検索するとここで撮られた画像がたくさん見つかる。

下り線は岩ケ崎から真っ直ぐに進んで来る電車を海を背景に撮影。上り線は大月踏切まで並走していた下り線と別れ、トンネルに入って行く直前の電車を田んぼと集落を背景に写すのが鉄板の撮り方らしい。

カメラマンが付近に停めた車のナンバープレートを見ると全国津々浦々、様々な所から来ているのだと関心してしまう。

珍しい電車が通る時にはずらりと路肩に駐車するので、そんな状況ではソロソロと残された部分を通過しなくてはいけない。

この来訪者達には、集落の人が話しかけても適当にあしらわれたとか、撮影の邪魔になるからと言って山菜を伐採された、なんていうエピソードもあったりするが、とりあえずは事故になるような事と、ゴミを捨てて行くような事だけはしないで欲しい。

住人も自分たちの住んでいる土地に魅力を感じて写真に収められるわけだから、それ自体は嬉しく思っているはず。ところが一部でもマナーの悪い人間がいるとそれが全てのように吹聴するのが田舎の悪いクセだ。

跨線橋には古い時代の名残りがある。橋自体は無くなっているが、草木に覆われて残っている土台がそれだ。見ると道幅も1車線しかなく狭い。跨線橋の工事には上り線のトンネルから掘り出された土砂が利用されたと聞く。

撮り鉄で賑わう跨線橋付近

撮り鉄で賑わう跨線橋付近。この日は四季島通過。

山と海の間に広がる水田と「たなか」と呼ばれる用水

跨線橋の手前から国道と別れ、山裾を這うように集落へ細い道が伸びる。

途中、ごだ川、みや川と呼ばれる小川を越える。二つの川は小さいながらも大月集落の水源であり大切に管理されてきた。

山裾と海との間に広がる水田は、これらの川から水を引いているからだ。

水の利用は水田にとどまらず、川から引かれた水を利用して集落内に共同の洗い場が4個所作られている。共同の洗い場では、畑から採れた土の付いた野菜や、海から採った魚を捌くのに重宝している。自然のままの物を台所へ入れる前のワンクッションといったところ。

たなかと呼ばれる共同の洗い場

「たなか」と呼ばれる共同の洗い場

ただ、近年は集中豪雨が増え上流の砂防ダムが埋め尽くされた影響なのか、昔より濁った水が出ている日が多いように感じる。

共同の洗い場は大月集落内では「たなか」と呼ばれているが、その由来は良く分からない。

集落では水当番という役が決められていて、この当番が回ってきた際はたなかの取水口の状況を確認し、ゴミが詰まっていたら取り除いたりするのが主な役目となっている。

この「たなか」は年に一度、集落総出で水替えと内部の掃除が行われている。高齢化が進む中で、果たしてこの作業もいつまで続けられるのだろうか。

夏、山裾から海側を見る。山のあちこちから鳴り止まないセミの声、わたあめの様な雲が湧く青い空、群青の海を背景に稲の緑が美しく栄える。電車が通ると実を付け始めた稲穂は風に吹かれてその身を左右に揺らす。上海府の人間なら誰もが知っている夏の風景。

山裾から線路越しに海を見る

夏の終り、山裾から線路越しに海を見る

大月小学校跡は集落センターに 付近にはお寺と神社

山裾を進んで消防小屋のところでT字路となる。道なりに左へ進むのが大通り、右へ突き当りまで入ると広場があって北西の端に2階建ての古い集落センターがある。広場は明治35年から昭和26年まで大月小学校があった場所で、当時のコンクリート製の校門や建物の土台が残っている。

広場山側の少し高くなったところが耕雲寺末寺の月海山養福寺。明治19年に小学校として利用されていた衆寮より出火し全焼した記録が残る。現在の建物はその後の建築と思われる。

北の山裾には菅原神社が祀られている。その昔、加賀より来た長甚左エ門が故郷の社を勧請したと伝わる。祭礼は4月25日と10月25日。

菅原神社と別に月山神社も祀られている。もともと集落裏の山を1時間近く登ったところに社があり、雨乞いの神様として村外からも多くの信仰があった。現在は裏山への遷座を経て養福寺内に納められている。

センター前の広場にはグラウンドと砂場があった。神社、お寺は高低差があり、隠れる場所も豊富。テレビゲームが無かった頃は子どもたちの遊び場だった。放課後や日曜日には必ず数人が遊んでいた場所だ。

大月小学校跡

大月小学校跡の広場 古くは画像に見える養福寺を学び舎とした

集落中央の踏切を通り、かもめ弁当方面へ抜ける

大月集落にはJRの複線が走っているので踏切がある。上海府の他の集落では住宅地を避けるように線路が作られているのに、大月集落においては避けようが無かったのか住宅地のど真ん中を貫通しているので近所の家は電車が通るととても騒々しい。

踏切を越えたところで再びT字路。上海府の他の集落と違い、大月は南から北まで一直線に道が通っているわけじゃないのがちょっと面白い。

大月踏切

大月踏切付近。手前左も雑貨屋だった

直進すると浜の方へ向かい、右へ行くとかもめ弁当側の出入口へ続く。

線路より山側が山通り、線路より海側の南半分が上通り、北半分が下通りと呼ばれていて、何かの担当はこの区分けで行われたりもする。近年では分けなくても良いほどに空き家が目立つ。

ポストがある場所では以前、雑貨屋を営んでいて「しょーべさん」と呼ばれていた。昭和の終わり位まではどの集落でも1、2軒位あったようだが、今は時代の流れとともにあらかた廃業してしまった。

家並みを抜けると北の川と呼ばれる川。この川も水量は少ないが水田、たなか、消防水利と貴重な水源となっている。

この川から北は住所は野潟となるので、かもめ弁当は野潟。野潟民には悪いが、かもめ弁当は大月の名店ということで浸透させたい。

最後に上海府ふれあい大運動会について触れると、大月は毎年下位の弱小集落。ちょっと名前負けしている感も否めない。

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