間島駅から100メートルほど野潟側に行ったところに、かつてそろばん塾を営んでいた建物がある。
平屋で小屋の様にも見えるが、小屋にしては間取りが整っていたから古い住居だったのかもしれない。
足を止めると、未だに外壁に塗られたクレオソートの匂いがするような気がして懐かしい。塾に通った小学生時代の事、一人、また一人と私を残し楽しそうにそろばん塾を出て行ってしまった友達を思い出す。
学校の授業を終えて塾へ向かう足。自分から習いたいと言い出したのは別にそろばんに興味があったわけでもなく、友達とワイワイ通う楽しさがあったから。
塾に着くとまず、それぞれの級ごとに作られた問題用紙を先生から受け取り、それを自分のペースで終わらせていく。
一通り問題を解いた人から先生の添削を受け、間違った問題を再びトライして全問正解するまで帰れないというシステムだ。早く終わらせて帰りの道草を十分楽しめるかどうかは、この問題をいかに早く解くかにかかっていた。
ところが、両面にびっしりと書かれた問題は私にとっていつも強敵だった。最初の正解率が半分以下なんてこともザラにある。
その日は、私が悪戦苦闘している間に他の友達は「よっしゃー!」と言いながら一人、また一人と楽しそうにそろばん塾を出て行ってしまった。
あぁ、まずい、終わらない、早く終わらせないと…焦れば焦るほど、そろばんは上手に弾けない。最後はいくつもの長机が並ぶ中に先生と二人きりになった。
外はもう暗く、古い教室の窓の外から聞こえていた楽しそうな何人かの友達の声は聞こえなくなり、変わりにそろばんがパチパチとゆっくり弾かれる音だけがする。
課題を終えられない悔しさと友達に置いて行かれた寂しさで、半分泣きそうになりながらも一人で少しずつ問題を解いていった。
あれから30年、多くの友達は上海府を出て行ってしまった。
もしかしたら自分は、今でもあの日の塾のように上海府に一人残り、いつまでも終わらない課題を泣きそうになりながら続けているのではないだろうか。
散り散りになった友達は、田舎の集落から出ると小さなそろばん塾の事など記憶から消して、それぞれの新しく広い世界を満喫しているに違いない。
そう考えると溜め息が出そうになるが、良く考えると思い出には続きがあった。
ようやく全ての問題を解いて塾の玄関を出た時、帰ったものと思っていた友達がひょっこり現れた。私が終わるのを外で待ってくれていたのだ。先程までしょぼくれていた私は一気に笑顔を取り戻した。
私は…私達はまだ一人ぼっちにはなっていない。みんなで知恵を出して力を合わせれば課題はきっと解決に近づく。築いて行くのはこれからだ。出ていった皆にも胸を張って誇れる上海府を。