イナカレッジさんと協力し、若者を受け入れ
11月14・15日、地域と若者をつなぐ活動を行っている「にいがたイナカレッジ」さんとの協力で、県内大学生を招き、地域住民との交流機会を設ける事業を行いました。
これは、新潟県の関係事業人口創出事業という、名前だけ聞くと少し堅苦しい枠組みの中で行われたものです。
当初の予定では一週間程度の滞在期間を設け、学生さん達に上海府地区の暮らしに入り込んで交流してもらおうといったプランでしたが、新型コロナウイルスの影響で大幅に滞在期間を縮小し、一泊二日での開催となりました。
また、地域の行事の中でもそれらを体験してもらいたいと考えていたのですが、高齢者の多い上海府地区で感染症に配慮すると、それは諦めざるを得ませんでした。
そうした状況の中でしたが、住民の方には個人的な協力も仰ぎながら今回の事業を行う事ができました。まずはご協力いただいた方に深く感謝いたします。

にいがたイナカレッジさんでの募集ページ
ミーティングののち、かもめ弁当でしばし歓談
一日目の11月14日、4人の大学生の皆さんとイナカレッジのスタッフの方、研修の地域おこし協力隊の方なども含めてAGハウスに迎え、お昼を食べつつ、二日間の方向性や予定を話し合いました。
メニューはオレモオメモ公式ランチになりつつある、かもめ弁当の「のりから弁当」。

最初はやっぱり緊張したかな?

今日は食べる前に写真が撮れました!箸が変…
参加してくれた大学生は県外出身者が2人、みんな2年生で男子1人、女子3人。こうした活動は女子の方が積極的なのでしょうか?
イナカレッジさんの仕切りで場が進みます。さすが学生さんとのやり取りも慣れている感じ。
今回は学生さんたちに、地域を紹介する冊子の制作をしてもらう事をひとつのゴールとしています。
周辺散策から地域の方との交流へ
食事の後はぶらっと野潟を散策し、ふれあい広場を見学、その後2チームに別れて地域の方のお話を聞きました。
途中で歩いた海岸線から見た海は、白く泡立つ波で灰緑に濁り、冬の日本海の顔をのぞかせていました。

間近に見る日本海も新鮮に見えたかもしれません

神奈川出身ですっかり村上人の植田氏が塩引鮭の二段腹加工を解説する図
Aチームのは、まずはAGハウスのある野潟に暮らすお母さん二人、ダブル菅原さんのお話を聞きます。
船乗りとして家を空けた男性陣に変わって消防や力仕事など、様々な面で活躍した当時の苦労や、その中でも楽しかったことなど、地域と協調しながら家を守る女性ならではの生活を明るくお話ししていだだきました。

昔の苦労も笑って話す野潟の二人お母さん
その後は大月養福寺で区長と対談。
大月の長区長は大月のまち歩きの際も全面的に協力してくれた頼りになる区長です。
若かりし頃、世界を何周もしたという船乗りの時の話に華が咲きます。隔離された海の上での生活は精神的にも厳しいものだったようです。
そんな世界のあちこちを知る区長さんですが、それゆえに日本の風土の豊かさを肌で実感し、落ち着くのはやっぱり上海府だと話してくれました。

区長さん後ろ姿でごめんなさい(ハンサムな顔も拝見したい方は大月まち歩きへ)
Bチームの方では、まず齢90歳の相馬おばあさんと対談。
海女さんとして天草取りに精を出した頃のお話は、上海府がかつて天草の産地として栄えたことを物語ります。
当時、天草は上海府の家計を支える大事な収入源でした。おばあさんが見せてくれた白黒の写真には、大きな桶を担ぎながらイキイキと働く女性たちが写ります。

当時、他所から来たカメラマンに撮られたという写真
その次にお話を聞いたのは船乗りの太田さん。
大月の区長さんと同じく現役時代は外国航路の船員として活躍しました。
ギネス記録に載った大きな貨物船「宇佐丸」にも乗り、ペルシャ湾など紛争地帯での航行は恐ろしかったと話してくれました。
現在では地元で小型の漁船で魚を捕まえたり、タコだまし漁なども行う漁師さんです。
こうして一日目には合わせて5人の住民の方から生の声をお聞きしました。
普段このように年配の方にマジマジとお話を聞く機会も無いので、参加者それぞれが新鮮に感じた事があったのではないでしょうか。
その後、AGハウスでオレモオメモメンバーとも交流を深めて一日目を終了。
二日目は穏やかな空と海がゲストを歓迎
二日目、新潟の晩秋にしては珍しい青い空と落ち着いた表情の海がゲストを歓迎してくれました。
ゴミ拾いをしながらの地区散歩では、ちょうど人足(集落の共同作業)があり、お寺周辺で集落の人からお話を聞くことができました。
あまりのタイミングの良さにヤラセ疑惑も…?(して無いですよ!)

野潟には昔、潟があったんじゃ〜
野潟の地名の由来やお寺の裏の滝についてのお話などを熱心に話す集落の方、興味を持って聞いてくれるゲストの皆さんがいて、こうした光景が上海府でずっと続いていって欲しいのです。

実は滝のあの所にね〜
海辺を歩きながら、次の予定である大海と手打ちうどん作りの会場であるふれあい広場へ。

浜辺を歩いていくとタコだまし漁を行っていました
郷土料理の代名詞 大海&うどんを作る!
新潟県北の方はご存知とは思いますが、大海(だいかい)とは、ゴボウ、レンコン、人参、里芋、タケノコ、しいたけ、長もやし、ちくわ、糸こんにゃく、焼き豆腐、鶏肉などなど、たくさんの具材を醤油味ベースで煮て作る郷土料理です。
地域でも違いがあり、それぞれの家庭によっても具材や味付けにバリエーションがあります。

左から3人目、4人目がお茶目な講師の太田さん
お正月や神楽など、人が集まる時には必ずといっていいほど作られてきましたが、正月や神楽などといっても親戚が集まらない家が増え、家庭で受け継がれていく味は減っています。
うどんも同様に人が集まる際に振る舞われました。かつては上海府地区でも小麦が栽培されていたので、それを利用した食べ物として家庭でもうどんが作られました。
山の上など、水が確保できず米が栽培できないような土地に小麦を育てたのではないでしょうか。小規模ながら製粉所もあったそうです。
郷土料理の講師には、馬下のダブル太田さんに引き受けていただきました。
大海は材料が多く、小さく刻まなくてはならないのでゲストの皆さんが手分けして担当します。学生の皆さんも自炊しているというだけあって、包丁も上手く使いながら野菜を切っていきます。

皆さん、何でもそつなくこなすので、「今どきの若者は〜」と言う機会がない
ダブル太田さんもコンビのように楽しく講師をしてくれました。
うどんの方は手打ち、と言いつつも生地をビニール袋に入れ、体重をかけて足でこねていきます。
これはオレモオメモメンバーも含めて皆んなが初体験。初めは食べ物を足で踏みつけるというイケない事をしているような背徳感…
踏んで伸ばして折り重ねてを繰り返すこと30分程度、小麦の粒状感が無くなってモチモチとした感じになると生地は完成です。

ひたすら足で踏む作業、食べ物を作っているとは思えない^^;
完成した生地を手回しの機械にかけていくと見慣れた麺の出来上がり!

昔は一家に一台あったそうです
出来た麺を大きな鍋で茹でます。湯で時間は少し長め?

茹で加減が難しいけど、コシがあるので、少し茹で過ぎたくらいでのびることもなさそう
美味しい大海&手(足)打ちうどんで昼食となりました。

おいしそうな大海&うどんが完成!

太田さんも交えて記念撮影
もはや修行?眠気覚ましの全集中!?
少しの休憩の後、午後からはAGハウスでの作業となります。
AGハウスの汚れたふすまを張り替えると同時に、ゲストの皆さんの思い出を形に残してもらいたいという事で計画しました。

何でもできるトモちゃん農園の本間さんがリード
お腹いっぱいで眠気も襲う昼下がり、講師としてお願いしたトモちゃん農園の本間さんのリードのもと、4枚の襖を張り替えて和室のイメージチェンジができました。
ゲストの皆さんは、一人ずつが襖を貼るアイロンや、裁断に集中するという地味な作業の中でも、一所懸命取り組む姿を見せてくれました。

カッターの刃先に集中!
二日間で得たものと、これから得るもの
二日目も終わりに差し掛かり、最後は振り返りと今後の予定の確認を行います。
今回は地域を紹介する冊子の完成を目標としていますので、学生さんたちはこの後も独自にオンラインなども使ってミーティングを実施し、冊子を完成させます。

二日間での気づきを書き出す作業

ひとりずつ発表しました
4人の学生の皆さんはこの活動の中で何を感じてくれたでしょうか。
今後も上海府地区とつながりを持ってもらえれば一番喜ばしいですが、そうでなくともこれからの未来を作っていく若者のため、田舎での触れ合いが何かしらの糧となってくれれば幸いに思います。
彼らが見た上海府を、上海府に住む人たちに伝える冊子の完成を楽しみに待つこととします。
住んでいるけど見えないもの、住んでいないから見えるもの。
人生の経験が多いから分かる事もあるけれど、人生の経験が少ないからこそ感じる新鮮な気付きだってある。
風景、伝統、人々…当たり前だと思っている事は自分の中にしかない。
オレモオメモのメンバーは、4人の若者が上海府に吹き込んでくれた新鮮な風を感じることができました。この風をひと時のそよ風で終わらせないためにも、継続した活動を行っていきたいと思います。
でも本音はやっぱり、今回得た色々な縁をいつまでもつなげていけたらいいなと思っています。
協力いただいた新潟県、にいがたイナカレッジさん、上海府地区の皆さん、参加してくれた学生の皆さん、調整に奔走してくれたメンバーたち、ありがとうございました!