
今はコンクリートの土台跡が残る
昭和42年から平成の初め頃まで大月海水浴組合で営業。
開業の2年ほど前に羽越線の複線化のためのトンネル工事が着工され、排出した土砂を付近に捨てたというので、その時に出来た平地が利用されたと思われる。
当時は海水浴場と地元の子どもたちが泳ぐために決められた場所は異なっていたので、ここで泳いだ記憶はほとんど無い。
当時はもっと広い砂浜があったはずだが、今見る限りではこの狭い場所でよくぞまあ海水浴場を営業していたと感心してしまう。
国道と海の間の小さな土地に休憩所、食堂、トイレ、シャワー室などが立ち並び、残りの場所は駐車場となった。
遠い記憶の中で、沢山の人で賑わう砂浜、途切れることのない国道の車列、友達と警戒しながらも訪れた時に、村のおばちゃんに食べさせてもらったラーメンの記憶が残る。
営業を辞めた後もしばらくはトイレなどの建物があったが今ではコンクリートの土台だけが残る。浜辺には釣り人がルアーで魚を狙う姿が見られる。
実は付近は海沿いの国道が作られる昭和40年頃まで墓地として利用されていた。稀に砂の中から墓石が顔を覗かせる珍スポットだったりする。